ゆっくりと立ち上がる、その動作にすら威圧感がある。ほどけた銀髪が動きに合わせてさらりと流れる。
 姿形はほとんど変わっていないけど、たぶん七年前と同じように二十代半ばくらいには成長しているんだろう。瞳の色も、氷のような青から、奥に七色にまたたく炎を秘めた紅に変わっているに違いない。ここからでは見えないけど。

 今日はそこまで体格変わってないから、服はそのまんまなんだな、とか考えている間に、クライスは立ち上がって乱れたマントの裾を捌く。

「ニーメア。ご苦労でしたね」

 いつもより少しだけ落ち着いた声が言う。

「ああ、ああ、お帰りなさいませ我が主。さっそく贄を喰らってその偉大なる力を取り戻されますよう」

 えせメイド改めニーメアが感極まったように声をうわずらせる。

「そうですね。魔力を取り戻さなければ、お前との契約を再び交わすこともできない」

 クライスはうっすらと微笑を浮かべたまま、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。
 近付いてくるにつれて、その嘘くさい笑顔がよく見えるようになる。私は身動きひとつ取れないまま、クライスを見上げていた。

 祭壇のすぐ前に立ったクライスは、うすい微笑を浮かべたまま、すっと目を細める。薄暗い中でも奥の炎で赤く見える瞳が、私を拘束する枷を検分するように眺めた。

「なるほど。聖女の力を使えばそれが逆流するようになっているのですね。よくできています」

 それを聞いたニーメアは、後ろでめちゃくちゃ嬉しそうに笑う。

 今の台詞、余計なことしやがってって感じの殺気がすごいこもってましたが!?
 この殺気に気付かないの、ある意味すごいな……私はちょっと震え上がったんですけど。

 そうこうしている間に、クライスは両手首の鎖を押さえるようにして私の上に身をかがめる。ついぼんやりとその顔を見上げてしまったところではっとした。

 あっ、これ、私もクライスに合わせて演技しないといけないんじゃないの!?

「選ばせて差し上げましょう、アリアーナ。私に力を返すか、この場で死ぬか」

 どっち! どっちを選んでほしいのこれ! ていうかどういう演技をすればいいの!?
 自分も演技しなきゃいけないということを全然考えていなかったから、頭の中が真っ白になってしまう。

 私に覆いかぶさるような姿勢になったクライスの肩から落ちる髪の動きに思わず目が行った。

 いやそんな場合じゃないんだ。すごい余裕綽々の演技をしているけど、今のクライスじゃニーメアに勝てないどころか、この場で魔法を使うことすらできないはずだ。

 クライス一人なら口八丁で切り抜けられると思うんだけど、私がこんなことになっているせいで、それもできない。

 つまり、やっぱり一度は魔王の力を取り戻させてあげなきゃいけない、ってことだよね。

 それをした後、クライスは変わらず側にいてくれるんだろうか。
 たまらなくそれが怖いけど、でもクライスがそう言うってことは、他に方法はないんだろう。

 聖女の力とか、ほんと役に立たない。

 じわ、と滲みそうになる涙をこらえながら、私はクライスを見上げる。
 クライスはどこか苦しそうに、私から目を逸らした。

 けれどその視線は一瞬でまた戻ってくる。明らかに人間のものじゃないけど、でもやっぱりクライスだなってわかる、赤い瞳。
 つくり笑いが、薄い唇の端に浮かぶ。

「私の力を、返していただきましょう。たとえ貴方が、望まなくとも」

 クライスは喉の奥で苦しそうに笑って、右の手袋の指先を噛み、乱暴に引き抜く。そのまま手袋は無造作に脇に放られ、それから一瞬ためらうような間を置いて、クライスの指先が私の左手首に触れた。

 氷みたいに冷たい指先に、私は目をまたたかせる。赤い瞳と目が合って、吸い込まれそうな心地になる。

「解け」

 クライスは冷たい声で、ひとことそう言った。
 こわいけど、やるなら今しかない。私はぎゅっと手を握りしめ、七年前にかけた封印を解放した。

 その瞬間吹き荒れた魔力に、思わず身を縮める。たぶん、えせメイドが張った結界があるし、クライスも抑えてるから外には漏れてないと思うけど……。

「ニーメア」
「ああ、我が主。取り戻されたのですね!」

 私が身体をかたくしている間にクライスがえせメイドの名を呼んで、それに答えるニーメアの声が弾む。

「再び私と契約していただけますね」
「もちろんです。我が主に仕えることこそ、我が至上の喜び」

 クライスは私の上からどいて、猫まっしぐらって感じで駆け寄ってきたニーメアと向かい合う。

「ニーメア・エイルアシュタート。今この時より、お前を私のしもべとします。よろしいですね」
「拝命いたします、我が主」

 ニーメアがひざまづいて答えた瞬間、場の空気がさっと変わった。さっき荒れ狂ったクライスの魔力に、すべてが染められたような感じだ。

「では、最初の命令を下しましょう」

 嬉しそうに命令を待つニーメアに、クライスは静かにうなずいた。

「アリアーナ・フェリセットを主とし、その身も心も護りなさい」
「……え?」
「拒絶は認めません」

 クライスがぱちりと指を鳴らすと、ニーメアは唖然とした表情のまま、するすると縮んで額と足先が白で他は真っ黒なハチワレ子猫の姿になる。金色の瞳がまだ見開かれたままだ。

 クライスはニーメアがそのままおとなしくなったのを確認して、さっとこちらへ振り向いた。

「申し訳ありません、リアナ。もう一度私を封印していただくことはできますか?」

 クライスは早口で言いながら、手際よく私を戒めていた手枷足枷を破壊していく。最後にさっき放り出した手袋を拾い上げて手に嵌めると、目の色以外はもうほとんどいつも通りのクライスだ。いやちょっと体格とか良くなってるけど。

 拘束されていた手首の様子を確かめる私を見下ろしながら、クライスはまた何か思い悩んで眉根を寄せる。

「もちろん、このまま断罪していただいても構いませんが」

 あ、今のはちょっとカチンと来た。

「……わかってて言ってるでしょ、クライス」

 私は手を止めてクライスを半眼になって見上げ、深く深くため息をついた。
 それから大きく息を吸い、おなかの底から声を出す。

「やるに決まってるでしょ! そのために七年間修行してきたんだから!」