奥の部屋は教官室だったけど、やはり研究室と同じように世界中から集められた素材が山積みにされていた。研究室と違うのは、そこにさらに様々な文献が加わっていることだ。

 ディータ先生は山積みになった本に半分埋もれた――実際本をどけないと動かせそうにない椅子に、偉そうにふんぞり返っていた。

「よく来たな、アリアーナ・フェリセット。待っていたぞ」

 ……なんか、クライスよりもよほど魔王らしい威厳というか謎の偉そう感があるんだけど……何だろうこの貫禄。年の功……?

「面白いものは見つかったのか?」
「あっ、ええと」

 さっき取り出したばかりの小箱に視線を落とすけれど、まだ中身を見ていなかったので、これですと言ってしまっていいのか迷う。

 しかし先生は私が何か言う前にその小箱を見やって、片方の眉を器用に跳ね上げた。

「ほーん? お前がそれを持ってくるとはねえ」

 なぜかにやにやしだした先生に、私は思わず腰が引けてしまう。

「え……これ、何かあるんですか? まさか呪いのアイテムなんじゃ」
「呪われてはいないが、お前にとっては似たようなものかもしれんなあ」

 めちゃくちゃにやにやしながら言われる。
 先生、やっぱりクライスよりよっぽど魔王っぽいよ!

「まあせっかくだから解説してやろう。座れ座れ」

 雑に椅子くらいの高さに積み上げられた本を示されて、本の上に座るなんて……という葛藤を覚えつつも座らないと話が先に進まなさそうなので仕方なく腰掛ける。

 先生はやはりふんぞり返ったまま、私が持っている小箱にどこか皮肉っぽい視線を向けた。

「そいつの名前は『女神の涙』だ。地上の争いを憂えた女神がこぼした涙が、天から降りそそいで結晶となったもの、と言われている」
「女神……」

 辺境に行くと別の神を信奉する民族もいるけれど、だいたいの人が『女神』というとき、それはこの世界を創造した神の伴侶である――伴侶として創造された女神リヴェラルラーナを指している。

 リヴェラルラーナは神の心を慰め、神が創造したものを愛し、慈しみ、癒すために生まれた。

 神殿が唯一神として奉じているのは神だけど、よく人々が加護を願うのはその神に従属する、癒しの力を持った女神の方だ。

 唯一の存在として名前がなく、人の身ではその深遠な思考は理解できないとされている『神』よりも、慈愛に満ちた名前を呼べる女神の方が親しまれるというのは、まあわからなくもない。
 聖女信仰も女神に力を与えられたとされる女性に対する信仰だから、女神信仰の流れと言えばそうだ。

 聖女のくせに神に逆らう魔王を守りたいと思っている私にとっては、確かに複雑な気持ちを呼び起こすアイテムかもしれない。

「そいつは四人目の聖女が自ら命を絶ったときに遺したものだ」

 先生は表情を消して、淡々とそう言った。

「聖女の祝福の力を結晶化した力の強い素材ではあるが、力を引き出せるのはお前くらいだろう」
「な、なんで先生がそれを持って……?」

 いったい何者なんだ、という疑問をこめて先生を見つめると、先生はまた人を食ったような笑みを浮かべる。

「ま、長生きしているといろいろとな」

 師匠もよく同じようなセリフを言ってたけど、もしかしてエルフの常套句なんだろうか。

「ともかく、それを使うかどうか考える前にまずお前が何をしたいかだ。研究目標は決めているな?」

 思いがけずちゃんとした指導が始まりそうな気配を感じて、私は姿勢を正した。

「はい、クライスウェルト先輩の持っている魔道書の改造をさせてもらう予定です」
「ああ、あの水竜のやつか」
「知ってるんですか?」
「噂程度にな。シルヴェスティア付きの付与魔術師が作ったやつだろう。そいつも昔オレが指導した奴なんだが、どうにも派手好きでなあ。とにかく破壊力がすべてみたいな魔道具を作りがちだ。お前いい加減にしろよと何度も言っているんだが聞かん」

 ディータ先生はやれやれと肩をすくめる。

「で、それをお前はどうしたいんだ?」
「下手に威力を高めるより、素直に魔力を伝えるセッティングにして、あと制御がしやすいようにしたいと思っています」

 先生は人を食ったような笑みを浮かべたまま、私の話を聞いて満足そうにうなずいた。

「つまり、クライスウェルトが魔王の力を制御できるくらいに、ってところか?」

 そのまま表情一つ変えずに言い放たれた言葉に、私は思わず固まる。

 ――しまった、たとえ話ってことにして流すべきだった。

 そう思ってももう遅い。青ざめる私を、先生はちょっとかわいそうなものを見るような目で見てくる。

 なんか悔しいけど、この貫禄に勝てる気はしない。うちの研究室で対抗できそうなのはクライスくらいだ。大穴で空気を読まなすぎるオルティス先輩も無意識に渡り合える可能性はあるかもしれないけど、さすがに気付くかな……。

「誤魔化す必要はないぞ。オレはあいつが魔王だと、最初から知っていたからな」

 現実逃避しかけていたら、先生は少し笑ってそう言った。

「案ずるな。オレは神を信仰してなどいないし、聖女も魔王もオレにとってはちょっと特殊な魔力を持った人間の一人に過ぎん。うちの研究室に来た以上は、ただの教え子だ」

 姿勢を正して先生の瞳をじっと見つめる。
 笑みを含んだその目に、だけど嘘は見当たらない気がした。

「せっかくだからもう少し突っ込んだ話もするか。お前はクライスウェルトに魔王の力を制御できるようになってほしいと思っているようだが、それは何のためだ?」

 笑みを含んだまま、先生の視線が鋭くなる。
 今度はこちらが嘘は許さないと言われているみたいだった。