なんにもない真っ白な空間に、彼女は――四人目の聖女はいた。

 私と同じ顔だけど、表情が薄い。感情がない、わけではないみたいなんだけど、どこか無感動で、虚ろな感じがする。

「これが見えているということは、君は私、だよね。私以外は、ここに入れないはずだから」

 私が入ってきたことに気付いたわけではないのだろう。虚空を見ながら淡々と話す『私』の前に、私は立つ。でも、彼女は虚ろな視線を動かすことすらしない。

 これはただの映像だから、彼女には私が見えていないんだ。それでも目が合う位置で、表情を見ながら話を聞きたいと思う。

 クライスが魔王の生まれ変わりであるように、私も聖女の生まれ変わりなんだってことは、もう確信していた。
 封印を解くことができた時点でそうとしか思えなかったし、何よりも彼女を見た瞬間に、彼女は『私』だとわかってしまったから。

「私がこれを残すのは、君がすべてを思い出す前に覚悟を決めてもらうため。私みたいに、なってほしくないから」

 覚悟を決めるように一つ息をついて、彼女は顔を上げた。相変わらず視線は合わないけど、彼女の悲愴な覚悟は感じる。

「私はずっと、『聖女の力』とか『祝福』とか言われているものを、まわりの人に求められて――奪われてきた。小さい頃に神殿にさらわれて、おぞましいことをいっぱいされてきた。あのひとに救いを求めて、神殿から連れ出してもらった……そのときが一番、幸せだった」

 四人目の聖女は確か十五歳で魔王にさらわれるまで神殿で育てられていたはずだ。
 本人から見たら、人さらいは神殿の方で、あのひと――たぶん魔王、が、助けてくれたひと、だったみたいだけど。

「神殿でされたこと、全部忘れたかった。でも、あのひとと一緒にいるうちに、私は思い出してしまったの。何もわからないまま、私にさわると気持ちがいいからって理由で、村の人たちにひどいことをされていた一人目の私。同じ理由で、二人目の私を鎖につないで、大陸中連れ回していた商人の男……そして三人目の私を神殿に売り渡した両親……口ではえらそうなことを言いながら、結局それまで私にひどいことをしてきた人たちと変わらない神殿の奴ら……」

 話していることは完全に恨み言なのに、彼女の――四人目の私の口調は、あくまでも淡々としていた。
 それがなんだか、こわい。前世の自分のはずなのに、考えていることが、その感情がわからない。
 おなかの底がぞくぞくと冷えていくような心地がする。

「いつだって私を助けてくれたのはあのひとで、なのに……私のせいで、あのひとはいつも殺されてしまう。みんな死んでしまえって思ったのは私なのに……」

 そんな憎しみは全然感じない、ただただ淡々とした口調で、でもとても悲しそうに彼女は目を伏せる。

「そう、世界を滅ぼしたかった魔王は、本当は、私なの」

 不思議とショックは受けなかった。

 だって、クライスが世界を滅ぼしたいと思うなんて、信じられるわけがない。
 クライスはいつだって、私に世界の優しさを教えてくれた。私が子どもの頃を楽しく思い出すとき、いつもそこにはクライスがいる。
 いつだって、守ってくれていたんだ。私が神殿の人たちから深く傷つけられることがないように。

 だから――本当は私がそうだった、っていう方が、腑には落ちる。クライスが側にいなかった私が、そうなるのはわかる気がするから。

 クライスが私に、前世を思い出して欲しくないと言った理由も。

「私を止めてくれたのは、いつだってあの人だった」

 ショックじゃない、はずなのに、なぜか視界が滲む。
 その間も淡々とした懺悔は続いていく。

「あのひとは、私と同じだって言ってた。私が人を惹きつけるように、自分は魔物を惹きつけてしまう。だから魔物を制御するために、心を操る魔法を覚えたんだって。もともと適性もあったみたいで……普段は氷の魔法ばかり使ってるけど、本当はそっちが得意なんだって」

 たぶんそれは、クライスも同じだ。彼女がかなしそうに、でもとても大切に呼ぶ「あのひと」が、前世のクライスなのはやっぱり間違いない。

 いや、そりゃそうだよね。だって彼女は、私なんだから。
 私が大切だと思うのは、いつだって――

「だから、私のことも、止めることができたの。前の自分のこと、全部思い出して、憎しみにとらわれて、全部壊そうとした、私のことを」

 四人目の私が、ぎゅっと両手を握りしめるのを見て、私は思わず目を逸らしてしまった。

 その先を聞くのが怖い。
 すごくすごく、嫌な予感がする。

 聞いてしまったあとで、私はクライスの前に――いつも通りに立つことができるだろうか。もう会えないって思ってしまうんじゃないだろうか。
 そんな、嫌な予感。

 でも、聞かなければクライスに手を伸ばすこともできない。

 キスをしたとき、クライスの青い瞳の奥に揺れていた感情を思う。
 私はあれを取り戻したいんだ。そして、もっとちゃんと触れたい。
 それが何なのか、確かめたい。

 そのためには、ここで逃げだすわけにはいかない。たとえ前の自分がしでかしてしまったことと向き合うことになっても。

 再び顔を上げて彼女を見つめたのと同時に、彼女も続きを話し始めた。

「あのひとは、私から憎しみの感情を奪ったの。今度は自分がそれに支配されるとわかっていて――私を殺しに来た勇者に、私の代わりに殺されたの……誰も犠牲にしないですむように。だから私は、もう誰も憎んでない。憎む心が、消えてしまったから」

 虚ろだった彼女の表情がふいに歪む。

「だから今は、ただ、かなしい。全部壊したいとは思ってないけど、全部終わりにはしてしまいたい。この映像も、誰も見なければいいのにって思ってる。でも、私が見てるってことは、まだ終わってないんだね」

 両手で顔を覆う彼女の姿が、歪んで見えなくなる。私も泣いているんだ。

「どうして……ほかの誰にも触れられずに、ただ一緒にいたかっただけなのに……」

 そう嘆いたのが彼女なのか自分なのか、境界があいまいになっていくようで、背筋が凍るような心地がした。

 それじゃだめだ。
 ……だめ、なんだ。

 一人で全部抱え込んで、憎しみにおぼれても、悲しみにおぼれても、私は前に進めない。
 クライスにもそう言ったじゃない。
 一人で抱え込まないでって。

 私も……同じなんだ。